<生い立ちから開院まで>
私は昭和43年、千葉県習志野市の市営団地で生まれましたが、父はサラリーマンで生後すぐに横浜市旭区へと転居したため、千葉での記憶はまったく残っていません。結局、大学へ進学するまでの18年間を横浜で過ごしました。
幼少の頃、毎日の遊び相手だった近所のお兄さんたちに泣かされて家に戻っても、母はまったく相手にしてくれないものでした。この頃だけで十分な反骨精神が鍛えられ、泣かない、負けず嫌いの性格が形成されてしまったのだと思います。小学生の時分から現在まで、私は泣いた記憶というのが片手ほどもないのです…。
大学進学時には浪人を経験し、親友の勧めで河合塾駒場校のなぜか東大コースへと片道1時間45分かけて通学する毎日が始まりました。そこで味わったのはまさしく挫折でした。それまでは勉強にせよ運動にせよ、努力せずともそこそこにこなせてしまう自分がいたわけですが、成績上位の人たちの頭は根本的に違う、敵わないと悟りました。2浪はできないというプレッシャーに押しつぶされたこの辛い1年で謙虚さを学んだのは私には必要なことでした。
予備校は欠席することなく通いましたが(すごい!)、残念ながら東大ではなく福岡県北九州市にある九州歯科大学に進学することになりました。当時は手先の器用さと感性を活かせる仕事、工業デザイナーか建築家、または歯科医師というのが現実的に決めていた将来の職業でした。とりあえず国公立なら家計もOKということで、なんとか合格したこの大学を選びました。
大学卒業後は、当時所属していたサッカー部先輩の医院、千葉市の恵愛歯科クリニックに勤務させていただきました。ここで同じ部の先輩2名と計4名で勤務することになり、小児から高齢者まで、修復処置からインプラントまで何から何までを、部活の延長のように実践的に叩き込まれました。ここで学んだのは「患者さん本位」という素晴らしい考え方で、きちんと説明することをはじめ、患者さんに満足してお帰りいただくということでした。今では当たり前のことで、これを基本に今の私の診療が成り立っています。
4年半ほど勤務し開業を考え始めた頃、この染井野の話をいただきました。まだ早いか、と少し躊躇しましたが、色々考えこれもタイミングなのかなと開業に踏み切りました。開業にあたっては多くの方々のサポートを受けましたが、今改めて皆様への感謝の気持ちを再確認する次第です。そして平成10年10月23日、当地に開院することができました。
開院以来の“ Dentistry with humanity “ という理念を胸に、さらに最新の知見、技術、科学的な考え方と確実な治療を基にして、これからも皆様の健康のお役にたてるよう、努力を続けていきたいと考えています。
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