ゆとり教育反対

05月21日

prod_cerconz_aacd_01我々の仕事というものは、いかに患者さんに満足してもらえるような結果を作り出せるかだし、なんだかんだいっても最終的には手先の器用さとセンスに左右されてしまうことは間違いない。

歯を削るにしてもルーチンワークのマニュアルはあって、冠を作るのに必要な厚み分を削らなくてはならない。このマニュアルがあれば「ひとつひとつのステップは誰でもができる小さな単位なので、これを積み上げていけばどんな人でもそれなりに削り終えることができる。」というのは藤本順平先生のお考えだが、それは多少受講生たちへのリップサービスが入っていて、レシピに決められた通りにできれば中学生でもプロと同じ味のフレンチが作れるのか?という問いには皆、同じ答えだろう。

プラモデルを作るのも同じ。同じマニュアルを見ながら作ったって、出来栄えは決して同じにはならない。同じ楽譜を見てピアノを弾いても、同じ演奏はできない。もうお分かりでしょう。どんなによくできたマニュアルをもってしても、最後のエッセンスは個人のものだし、そこのセンス次第で仕上がりが変わってくるのだ。

それではそのセンスを磨くにはどうすればよいか?
これはもう練習しかない。ひたすら練習する以外に方法はないではないか。これをするかしないかで目に見える結果は変わり、これをするかしないかで将来が変わる。

「自主自立」とは私の母校(高校)のモットーだが、あの高校では多くの事が「生徒まかせ」であった。制服はあるが、着ていかなくてもよかったり(細いハイヒールで来ている子もいた)、バイクで通うことも一応ダメよとは言われるが、校門の裏にはズラッと原付および中型が並び、結局はほぼ問題なかった。先生から生活態度を指導されるということはほぼ一切なかった。

かといって、乱れているかというとそんなことはなく、生徒たちの団結力はとても強く、連帯感というか仲間意識というか、一体感のある3年間だった。なぜそんなにうまくいっていたかというと、「自己責任」というものが時に仲間に影響を与え、イコール団体の利益を左右してしまうということを、教わるわけでもなくなんとなくみんなが認識していたからのように思う。「自主自立」を笠に着て自分勝手なことをすると、周りに迷惑をかけるということがわかっていたのだ。

我々の仕事は、その出来栄えが患者さんの利益に直結する。
今は卒後すぐに、歯も満足に削れないうちに、入れ歯も作ったことのないうちに、インプラントの講習会に行ってしまうような時代だ。当院の若い先生たちにはそんなことはなく、基本をみっちりとやってもらう。歯科衛生士にたいしてもだが、写真の撮り方からしてかなりうるさい。私が言うのは「できなきゃ練習しろ」だ。はっきりいって、できてくれないと迷惑だし、医院の利益も損なう。しかし、努力を積み重ねてできるようになった時には思わぬ喜びがまっている。

患者さんからの感謝の言葉だ。

やって良かった。努力してよかった。そう思う瞬間が必ずくる。
それを信じて日々頑張ってもらいたい。

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